葛飾北斎|経歴・代表作・人物像まとめ|日本のパスポートの新デザインにも!すみだ北斎美術館もオープン!

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とにかく今、北斎が熱いんです!いま再び注目を集めている葛飾北斎についてプロフィールや、彼の生み出した傑作、それにまつわる逸話などをまとめてご紹介したいと思います。

日本のパスポートの新しいデザインに彼の絵が採用!シーボルトが持ち帰りオランダのライデン国立民族学博物館が所蔵していた絵画6枚がなんと彼のものだった!2016年11月22日にすみだ北斎美術館がオープン!

どうですか?いま着実に来てるんです!「葛飾北斎ブーム」

 

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葛飾北斎ってどんな人?

まずは彼のプロフィールから。

宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? – 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉
江戸時代後期の浮世絵師。

世界的に著名な画家。

引用:Wikipedia

代表作としては、「富獄三十六景」や「諸国滝廻り」「北斎漫画」などがあります。

富嶽三十六景に隠されたエピソード

彼の作品は一度は誰でも見たことがあるのではないでしょうか?

彼の代表作である「富嶽三十六景」

富嶽三十六景は、実は彼が70代の時に描きあげた作品なんです

この富嶽三十六景の中にも彼の人柄が分かる作品があります。

それは、一番有名なあの絵。

 

神奈川沖浪裏 / View through waves off the coast of Kanagawa

神奈川沖浪裏 / View through waves off the coast of Kanagawa

実はこの絵には、当時としては珍しいある技法が取り入れられていたのです。

それは構図を決める時に、定規とコンパスを用いて描くという技法。

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まず紙の4隅に対角線を引き、左下からコンパスで円を描くと・・。
そう、波の先端と、富士山の山頂がぴったり重なるように描かれているんです。
こういった構図の図法、当時としては非常に珍しい技法なんです。 

当時、鎖国中の日本で、行き来を許されていたオランダから、貿易品とともに絵画技術も伝えられていたのです。彼は、70代という年齢ながら、外国からやってきた新しい絵の技法を取り入れる進取の気性を持っていたのです。

そして出来上がった作品が、彼の活躍を後世まで残す名作となったわけです。

 

もう一つ彼の有名な作品と言えば、これを上げることができるでしょう。

凱風快晴 / View on a fine breezy day

凱風快晴 / View on a fine breezy day

この富士山が赤く染まる赤富士を描いた凱風快晴。

実は、この作品には面白い真実が隠されていたのです。

なんと、彼が描いたのは、朝の光を浴びるまばゆい黄色い富士山

もともと、この富士山は赤く描かれてはなかったのです。

では、なぜ今現存するものは赤いのか?

それは、当時の出版体制にヒントが隠されています。

当時のシステムは、絵師は下絵を描くだけ。
その後、版元(現在の出版社のようなもの)が彫り師に版画を作らせ大量生産を行うというシステム。

絵師が実際に立ち会って版画を刷るのは200 枚程度だったようです。

あとは版元が大量に刷っていくことになります。

それで、絵師に無断で勝手にこっちの方がいいのではないかと改良を加えていくこともしばしばあったそうです。

例えばコチラ↓

山下白雨 / Summer Shower beneath the Peak

山下白雨 / Summer Shower beneath the Peak

富士山と稲妻を描いた北斎の山下白雨。 「凱風快晴」とは違って、「動」を描いたこの絵。
富士山の雷電はためく夏の雨を描いた素敵な作品です。

が・・

こちらをご覧ください!

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②の絵を見ると①に比べて稲妻が少し太くなっています。

さらには③になると、もともと無かったはずの松林などが付け加えられています。

これは、北斎が描いたものではなく、版元が後から付け足したものだと考えられています。

こういったことは当時の版画の世界では良くあるそうです。

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ということで、もともとの北斎の凱風快晴の富士山の色はもっと黄色かったんです。

この黄色い富士山の凱風快晴は200枚ほど刷られたと言われています。

初期に刷られたものの方が、作者のイメージ通りに刷られているので価値が高いんです。
もし黄色い富士の凱風快晴を見つけたら、それは偽物ではなく極めて価値が高いものかもしれません! 

北斎漫画に隠されたエピソード

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彼の最大のベストセラーは「北斎漫画」だとも言われています。

1814年、54歳で描いたこの北斎漫画。民衆の様々な表情や動植物のスケッチなどが描かれています。特に町人が鼻に割り箸を突っ込んで面白い顔をしている百面相は大変面白く人気を博しました。

そしてこの北斎漫画は日本のみならず、海外にも伝わり、海外の多くの有名な画家にも影響を与えたと言われています。

例えば、ゴッホ、モネ、ゴーギャンなど名だたる画家が彼の北斎漫画から影響を受けたそうです。さらには、あのティファニーも彼の作品に惚れ込み、実際に彼が描いた北斎漫画に出てくるキャラクターを商品として世に送り出しているんです。

晩年の葛飾北斎の作品に隠されたエピソード

80歳を超えると彼は活躍の場を信州長野に移します。

長野の小布施町には「北斎館」と呼ばれる、彼の肉筆画の世界を紹介している美術館があります。そこには、彼のいろいろな作品が大事に保管されています。

その中の一つに「男波図」「女波図」と呼ばれる作品があります。
実はこの作品には、彼のある思いが秘められています。それは絵の中にではなく、「女波図」の金縁の額に描かれています。

それは何かと言うと・・

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左下に描かれているのは「天使」です。

実はこの時代、日本は鎖国中。外国の宗教のシンボルを書くことは禁教令によって厳しく禁止されていたのです。

そんな中天使を描いた彼の思いとは?
「御法度や制約なしに自由に絵を描きたい」という願いが込められていたと考えられます。静かなる断固とした意志の強さ、そして芸術に対する熱意が感じとれます。

しかし彼は晩年、時代の流行の波にのまれ、人気が陰ってゆき多くの借金をかかえることになります。また、家族に先立たれた上に、さらに火事によって10代の頃から70年も描き溜めてきた全ての写生帳を失う悲劇に。それでも彼は88歳で亡くなるまで絵を描くことを辞めず多くの作品を残しました。

本当に芸術を愛していたんですね。

 

まとめ

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いかがでしたか?

世界中の人たちに影響を与えた葛飾北斎。いまでも世界中の多くの人たちを魅了し続けています。日本人として、彼のことをより知っておくのは良いことだと思います。

ちなみに新しくオープンする隅田北斎美術館では「隅田川両岸景色図鑑」が公開されるとのこと。楽しみですね!

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